美しい照葉樹林が残る町・綾町
綾は、足利8代将軍義政の頃から、西都・飫肥を治めていた伊東氏直轄の支配となりました。綾城は伊東家48城の1つで、薩摩の島津氏と戦う山東の拠点となりました。
昭和に入ったころの綾町は基幹産業がなく、「夜逃げの町」と揶揄されたこともありました。日本は高度経済成長期に入りましたが、当時の郷田町長は、これまで守られてきた照葉樹林を守り通し、環境保護を訴えます。土壌の大切さに気づいたことから、いち早く自然生態系農業を推進、また照葉樹林が残る町として工芸家を集め、多くの工房が誕生しました。「綾ユネスコ
エコパーク」の登録は、これらの価値が認められてのことだったのです。