たとえば、知人がSNS上に載せた鵜戸神宮本殿(日南市)の画像を目にし、「いいな」と思ったとする。 鵜戸神宮本殿は、波の打ち寄せる断崖の岩屋(洞窟)に鎮座しており、多くの旅人が景勝として、その風景をSNS上に載せている。実際この種の画像は旅情を誘うものである。
そのような画像に導かれて、彼の地に足を踏み入れてみると、その岩屋からは、神秘的な静寂さ、心地良い湿気、清浄な空気といったものを感じ取ることができる。これらは、デジタル画像からは決して感じるとることのできない、まさに実感である。
極端な話ではあるが、時折、SNSのサイトをのぞくだけで旅をした気分になることがある。
というもの、SNSでつながっている多くの知人達が、国内外の旧所名跡やご馳走の風景をいかにも楽しげに載せているからである。
だが、これらのSNS上での旅は、よくまとまったガイドブックをながめているようなもので、どうしても物足りない気持ちが残る。それは実際の旅と比べて、見て、触れてという実感の部分が欠けているからであろう。
たとえば、知人がSNS上に載せた鵜戸神宮本殿(日南市)の画像を目にし、「いいな」と思ったとする。 鵜戸神宮本殿は、波の打ち寄せる断崖の岩屋(洞窟)に鎮座しており、多くの旅人が景勝として、その風景をSNS上に載せている。実際この種の画像は旅情を誘うものである。
そのような画像に導かれて、彼の地に足を踏み入れてみると、その岩屋からは、神秘的な静寂さ、心地良い湿気、清浄な空気といったものを感じ取ることができる。これらは、デジタル画像からは決して感じるとることのできない、まさに実感である。
また、岩屋の中の本殿裏側には、鵜戸神宮の神使(しんし)となっているウサギの像がある。神使とは、一般的に祭神の使いとされ、伏見稲荷大社のキツネなどが有名である。鵜戸神宮では、主祭神が鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)であることから、その「鵜」の字が「卯」・「兎」と転じ、ウサギが神使となったという。
さて、この「撫でうさぎ」、その名のとおり、撫でると病気平癒や開運などの願いがかなうという。よって、この「撫でうさぎ」は、多くの参拝者から頭を撫でられ、頭の部分の色が落ちている。しかし、このウサギについては、色が落ちているからこそ、神々しく気高いのである。鵜戸神宮の「撫でうさぎ」は、人々の願いを一身に受け、長年、頑張ってきたのである。多くの人々は、このウサギに手を触れたとき、願をかけるだけでなく、どことなく愛おしい気持ちになり、いつもより豊かな気持ちになっているのではないだろうか。
やはり、旅は実際に見て、触れて、多くのことを実感するのがよい。宮崎県内には日向神話にまつわる多くの風景や神社がある。そこに、直接、足を運び、多くの実感を得ることは、デジタル化された社会を生きる我々に、多くの潤いを与えてくれるのではないだろうか。
主な著書に『日本書紀の作品論的研究-人物造形のあり方を中心に-』(國學院大學大学院研究叢書)、
『日本書紀【歌】全注釈』(共著、笠間書院)、『日本書紀と古代天皇の謎』 (共著、株KADOKAWA)など。