神話のふるさと特集 第四回
特集 宮司が語る 第四回
大御神社 新名光明 宮司
大御神社 新名光明 宮司
 天孫ニニギノミコトが、アマテラスオオミカミを祀ったとされる大御神社。神社創建の伝承と共に、土地にまつわるさまざまな言い伝えを新名光明宮司にお聞きしました。
日向灘に面する柱状岩の上に建つご社殿
「さざれ石の神座」はニニギノミコトが大海原を眺望された場所と伝えられている
境内東側にある鵜戸神社の社の前から入口を見ると、天に昇る白龍の姿が現れる
伊勢神宮との不思議な関係
 太平洋を背に、社殿が建つ大御神社。天孫ニニギノミコトが葦原の中つ国に降臨の際、この地に立ち寄り、アマテラスオオミカミを祀ったことから、社が建てられたといわれています。また、神武天皇が美々津からお船出する前に当神社を参拝し、武運長久と航海安全を祈願したともいわれています。
 「平成11年に大御神社の本殿奥から『天照皇太神宮』と書かれて『宮』と称していた可能性が示されました。大御神社の近くにある伊勢ヶ浜や五十鈴川という名称は伊勢と共通点があること、伊勢に日向という地名があることから、やはり“伊勢神宮”とは何か大きな関係があることが考えられます」と語る新名宮司。
 大御神社という名称はどこからきたのかという疑問が浮かびます。これには、アマテラスオオミカミの「オオミ(大御)」からいただいたのだろうと、父親から聞いたことがあると宮司が話してくれました。
 古事記では、神武天皇が東遷するまで、日向の国が神話の表舞台だったことを思うと、この地にアマテラスオオミカミを祀り、いつしか『天照皇大神宮』と呼ばれていたとしても不思議ではない。そういう想像をふくらませるのも神話のロマンがあります。
地域をつなぐ例大祭
 大御神社で毎年10月に行われる「宵祭り」は、1年の中で最も賑わいを見せる日です。宵祭りでは、巫女舞である豊栄・浦安・悠久の3つの舞と宮司による朝日舞、延岡の大峡(おおかい)神楽保存会による神楽11番、獅子舞が奉納されます。特に巫女舞と天翔獅子の獅子舞は大変人気があり、平成26年には、奉納を見学するために約1600人が訪れました。
 新名宮司が神主になった当時、大御神社の神楽は廃れており、なんとか神楽を復興させたいと思っていました。平成10年大寒の早朝、宮司が海で禊ぎをしている時、光輝く獅子の姿を見たそうです。これを神の啓示と受け取り、ストーリー性のある獅子舞にしたいと、曲から振り付けまで地域住民と一緒に創作し、天翔獅子を完成させたのです。
 以前から大御神社に参拝していたバイオリニストの古澤巌さんは、宵祭りの獅子舞にインスピレーションを受けて『龍神伝説』を作曲。演奏を奉納したいという申し出があったことから、宵祭りの翌日は境内で古澤さんのコンサートを平成23年から、これまで毎年開催しているそうです(平成26年12月現在)。宵祭りはもちろんですが、この境内コンサートにも県内外から多くの方が訪れ、大変賑わいを見せるそうです。
 この地に伝わる神話や伝承を後世に伝えていくことはもちろん、宵祭りを通して、地域活性にも貢献したいと力強く語る新名宮司の笑顔が印象的でした。
宵祭り(巫女舞)
宵祭り(天翔獅子の獅子舞)
古澤巌氏による境内コンサート
平成26年12月6日
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BOOK
大御神社宮司 新名光明
新名 光明
昭和23年 4月4日日向市大御神社 社家に生まれる
昭和42年 日向工業高校建築科卒。
宮崎市内の建設会社勤務の後、東京にて設計事務所勤務
昭和48年 大社國学館(出雲)にて神道を学び、神職資格を取得
昭和50年 大御神社神職として勤務
平成6年 大御神社宮司に就任し、今に至る
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